 |
| Old Town内の綺麗な家 |
カルタへーナ市内の観光も終わり、次は期待感でいっぱいのパナマ運河の通過。姉は、既にカメラを片手に朝からいそいそしている。当日は早めに14階のビュッフェに行って朝食を取ろうと計画したが、14階に着いてみたら、船頭窓側の全テーブルは既に取られており、その他にも大勢の人で回りが全く見えなかった。
 |
| この扉が徐々に開くのです |
パナマ運河通過に期待を寄せているのは私達だけではないらしい。そこで、姉はカメラを片手に最上階の15階のデックへ出向く。船内放送によると、運河の通過までにはまだ30分以上時間があるとのことなので、例の如く母と私はビュッフェ・レストランで「しっかり食べようね。」と朝からもりもり食べる。(ア~ア、この浅ましさ。。。)
30分位経ったのでもうそろそろ運河を通るかなと15階のデッキに上がってみる。おしとやかな姉は巨大肥満体の人だかりの群れの中をどう入ったらいいのか分からず、もじもじしているので、私は、”Excuse me, Can I get in here?”とか言って入り込み姉を呼ぶ。運河って聞くと私はすごい仕掛けのようなものを期待していたのだが、実際にはコンクリート作りの両方向からなる、二つの大きな溝の中を船が出入りするといった感じの仕掛けに見えた。それ自体は素敵でもなんでもなくて、正直言って、最初はがっくりした。
 |
| 毎日続くとどうなるか? |
姉は水位の変化等をしっかり観察し、カメラをバシャバシャやっている。私も最初のうちは、「ヘエー、両方向から船が出入りする際に水を各方向の運河に穴から出入りさせることで水位を変えるんだ。。。」とかの運河の基本的な構造に興味を持ったものの、それをズーと眺めているだけの忍耐と好奇心はなく、私はすぐにまた例のビュッフェに戻ってしまった。
私としては、運河の構造よりも、この運河を毎日何隻の船が通過し、その度に通過料金は幾らで、誰に支払うのか、とかのことを知りたかった。今となっては記憶が定かではないが、確か、一日の最高通過量が61隻だったと記憶している。通過料金はその船の大きさや重量によっても違うのだろうが、例え一隻2千万円としても、凄い収入だ!と私は常にビジネス面の情報に興味が沸いてしまう。
ビジネス面から考えるとこの運河というビジネスは一度やったらやめられないものだと思う。現在、パナマでは、二番目のさらに大幅の運河を建設中だという。それが完成すれば、大型船が通過できるようなる。完成後、投資家やパナマはとても裕福になるに違いない。
パナマは北米や欧州の年金退職者を多く受け入れる国策を取っている国で、パナマのある大臣が日本に行き「年金退職者誘致策を宣伝していた。」とその大臣との会議で通訳をしたある通訳者に聞いたことがある。パナマにおいて、北米・欧州の年金退職者が好む都市としてはボケテ市が良く知られているが、そこに住む年金退職者の話では、パナマの物価はコスタリカより安いらしい。それが本当だとすると、パナマ運河で得られる収入は何処へ行くのだろうか?国民全体の生活向上を目指すように配賦されるような経済的仕組みにはなっていないのだろうな、とかってに想像してしまう。
 |
| 殆どの客は大型バスのツアーをする |
姉にとってはこのクルーズで最高潮に達したパナマ運河の通過も終えて、再度カリブ海に戻った私達の次の港は何と、コスタリカ国のリモン港。コスタリカに永住してから5年以上も経っているのに、まだ一度もリモン市に来たことはない私だった。船を下りてから夕方5時位まで自由時間があったので、その間、タクシーを雇って観光をすることにした。
最初は市内を観光。至る所に中国人がやっている店があり、漢字の看板なども結構
見られた。運転手の話によると、何せそこの人口の20%から25%位は中国人とか。「彼らはビジネスに凄い長けている。」とこの運転手は言っていた。それに、色の黒い人、つまりかなり昔にカリブ海側の国や島から渡ってきた黒人が多いとは聞いていたが、私達の住んでいる中央都市部地域や太平洋側の地域と比較すると、やはり色の黒い人達が多かった。何か、違う国に着いたような錯覚を覚えた。
 |
| チョコレートの原料カカオフルーツ! |
 |
| バナナ園で |
リモン市内には殆ど興味のあるものが無いので、少し足を伸ばして、海岸線をドライブし、次にバナナ園に連れて行ってもらった。行けど行けど袋を被ったバナナばかりが目に付く。私の自宅の庭にもバナナが沢山植えてあるのだけれど、この時まで、バナナの実がなったらそれに袋をかけるということは知らなかった。バナナはフルーツとしてただ生で食べるのだと思っていた私達だったが、このバナナ園のバナナは赤ちゃんの離乳食用に加工されるのだという。なるほど。。。
 |
| トレイナーに歩き方を教わる |
リモン市を去り、次はグランド・ケイマン島の予定だったが、到着した時に、波と風圧が強すぎて、上陸は不可能との船のキャプテンの放送があった。ということで、また、船の中の旅が続く。「退屈だねー」とか言いながら船内を三人でぶらぶらしていると、5階で人混みがあり、何かゲームをやっているらしい。野球玉位の大きさのボールを持っている人達がいて、司会者が話している。どうも、何かのゲームらしく、既に始まっていた。
ゲームの大好きな母が、「私もこのゲームをやりたい!」と言う。「でも、もう始まっているからきっと駄目だよ。」とか言っても、「でも、やりたい。」と頑張るし、こういう時の母の諦めない性格を知っている私は、司会者に参加可能かどうか聞いてみたら、「OK」との返事なので、母、姉、私の3人共参加することにした。
 |
| 最初はサンダル履いて |
参加者はみな健康そうな人ばかりだったので、母が、「ヨイショ!あ~あ、足がとても痛い。。。」とか言って、車椅子を降りて来たのを見た人達は一瞬、「このおばあさん、大丈夫かな?」とか心配したに違いない。母はゆらゆら歩きながら、平気な顔。このゲームは二人つづ組んで勝負をしていく。勝った人がどんどん上にあがっていく仕組み。最初は、私が知らない人とやり、しっかりと負けてゲームから外れる。次は母と姉がやり、姉が母に負けて、母は次に進む。負けず嫌いな母の性格がこの辺りからじわじわと出てくる。最初はサンダルを履いてやっていた母だったが、どうも足ざわりが悪く、思うように足元が動かないので、三回目当たりからサンダルを脱ぎ始めた。
 |
| サンダルを脱いで頑張る母 |
皆がこのよたよたの、芸者のような髪を結った日本人老婦人の母に注目している。〔注目されるのが大好きで、慣れている母は、全く精神的にあがるという事が無いみたいで、靴下姿でボールを転がしている。〕準決勝まで母はずーと勝利が続いた。
次が決勝戦。相手は50歳台半ば位の背の高い、健康そうな男性だった。「どうみても、彼の方が優勝だよね。。。」と私を含む全ての人が思ったに違いない。ところが、ところが、何と、母がボールを基準ボールの一番近くに投げたのです。このゲームのルールは、ボールが基準ボールに当たっては駄目で、そのボールの一番近くに投げれた人が優勝なのです。
 |
| 優勝でシャンパンをもらう母! |
この幸せそうな母の顔!優勝し、シャンペーンをもらいました!参加者は皆、母が車椅子で現れた時から、興味本位で眺めていたのですが、91歳という年齢、歩くのも不自由な健康状態で優勝したものだから、皆に祝福され最高に幸せな母!「こういうゲームが毎日あると良いのにね。そしたら、船の旅はもっと楽しくなるね。」とか言いながら、部屋に戻り、三人で、貰ったシャンペーンで乾杯! このようにして、最高の思い出となるシャンペーンで、プリンセス号船の旅が締めくくりとなりました。
 |
| 今回のIDカード |
 |
| 今後、特典が付くゴールド・カード |
乗船した際に渡されたプリンセス号内でのID番号カードと、離船をする際に貰ったプリンセス・ゴールドカードを首輪のようにしてぶら下げて、「また、クルーズをしょうね。」と言いながらコスタリカに戻りました。次回はこのゴールドカードがあれば、特典が付くそうです!
今回のクルーズの旅で一つ思ったことは、ある一定期間、クルーズ船内で3ヶ国語を話せる顧客サービス担当として働ければとても楽しいだろうなということでした。ということで、3月17日に帰宅後、スペイン語の習得をしようという気持ちになり、その後、これまでやったことのない、スペイン語のクラスへ通うようになったのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿