「コスタリカに5年半も住んでいれば、スペイン語がぺらぺらでしょう?」とか言われるのだが、お恥ずかしいながら、「最初の5年間は貸別荘の改修工事とお客様の対応に明け暮れて勉強等する暇が無かったわ。」とか言うのはもっともらしい言い訳で、実はスペイン語の文法を習得する自信が全く無かったので、それなら、「ヘタに勉強するよりはしない方がいい。」という訳の分からぬ論理で生活していた。
かなり若かりし頃、アメリカの大学を終え米国で2年間働いた後、とても乙女チックに憧れていたスペイン語を第三言語として学ぼうと二度目のメキシコ・シテイ訪問をし、意気揚々とメキシコ人家庭にホームステイを始めた。スペイン語の習得には6ヶ月もあれば充分だと思っていた。(今、思うと自分の無知さと甘さに涙が出てしまう。。。)
シアトル市のある大学付属の英語学校で知り会ったメキシコ人良家の友人であるアレックスに紹介してもらった最初のメキシカン・ホームステイ先は英語が全く駄目。もちろん、それをこちらから望んで探してもらったのだった。私はスペイン語が全く駄目。お腹が空いても、喉が渇いても、何処かへ行きたくても、全く意志の疎通ができない日々が続いた。一週間目からスペイン語クラスに通い始めたものの、英語の学習時とはずいぶん違い、何を言っているのかサッパリ分からなかった。特に動詞の変換にはお手上げだった。
言葉が通じないという欲求不満状態が最高潮に達した時(これはホームステイ先の家族も同じだったと思うが、)アレックスに再度お願いし、今度は英語の分かるホームステイ先を探してもらった。
| 大学付属英語学校時の西語系友人 |
| アレックスや彼の友人と一緒に |
| 私、アレックス、友人 |
コスタリカ移住をする前に家族で何度もメキシコやコスタリカにバケーション旅行をしたのが、スペイン語を話そうとか、学習しようとかは全くしなかった。にもかかわらず、2008年2月、スペイン語の理解力が全く無いままに、突然の如く家族でコスタリカに移住してしまった。
移住前に夫がスペイン語を多少は勉強しており、新聞を読んだりすることができたので、「じゃ、今度は貴方が私の通訳をやってね。」と彼の通訳にしっかりと頼りきる計画だった。ところが、実際に生活を始めてみたら、私が工事現場に対応せざる負えない羽目になり、この「夫に頼る」という甘い期待が全く通用しないという現実に直面。工事現場監督や作業員達と話しをするには、どうしてもスペイン語でなければ駄目。夫は工事の事には全く興味がなく、こういう交渉は気の強い私でないと駄目ということになってしまった。「こんなはずでは無かった。」といくら思っても、時おそし。(米国の家は既に売約済みなので、帰ることもできなかった。)
その当時は、確かYahoo!のBabel翻訳サイトだったと思うが、インターネット上の翻訳サイトを使って作業員達と話そうと努力した。ところが、何と、何と、不動産屋に紹介されて雇った元請の監督に幾ら翻訳文を見せても、ただニコニコしているだけで、何を言っても(つまりどの翻訳文を見せても)ポカッ~とした顔をしている。彼が文盲だという事に気づいた時には、それを理由に解雇する訳にもいかず、「仕方ない。読めないのなら、喋って伝えるしかない。」と必要に迫られ、切羽詰った状況から始まった私のスペイン語だった訳で、それが現在にまで至っている。
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| ゴティ家の家族、その友人と私の家族 |
| 殆ど使われることの無い分厚い辞典 |
必要に迫られ、知っている単語だけをつなげての会話。それでも通じない時には、建築や工事のことなので紙にイラストや数字を書いたり、現物を見せたりして意志の疎通を図った。そうやって何とか事業や生活をこなしてきたという感じ。ただ、傍目には私がスペイン語を話せるように見えるらしく、そう誤解しているお客様や友人が多い。そういう評価を貰うたびに冷や汗をかき、穴があったら入りたくなる。それでも、依然として長い間スペイン語をしっかり勉強しようとは全然思わなかった。
今年三月に「パナマ運河クルーズの旅」に行き、「三ヵ国語を話せたら、船の旅の仕事をするのも面白いかな~。」と思ったことが、その後勉強しようと思う一つのキッカケにはなったものの、実は本当の理由というのは、以下の出来事に由来している。
ある日、コスタリカの中学と高校で勉強をし高校卒業の国家試験を無事受かった息子と私のスペイン語習得の希望について話をしていたら、”Mom, you know, your Spanish will never be as good as mine. Don’t even try that. You know it!”と本当に頭にくることを嬉しそうな顔をして言ったことがあった。(訳:「お母さん、お母さんのスペイン語は、絶対に僕のスペイン語のレベルには達しないよ。だから、無理してやらない方がいいよ。そうだろう?」)確かにその時の私のスペイン語って、本当にひどかったので、そう言われても仕方がないのだけれど、頭にきてしまった私は、「今に見ていろ。絶対に抜かしてやるから!特にお前が米国に行った後には。。。」 ”Well, you will see, you will be sorry to have said that as my Spanish will be so much better than yours! Especially, after you leave for the U.S.!”と断言したのだ。それを聞いた息子は、ただ、ニヤニヤ笑って”You are right, mom. We will see.”とか本当に可愛くない事を言うので、やらざる負えない羽目になってしまったという訳だ。
| Cafe Brittのカフェオレを飲みながら |
| スティーブ先生のクラスの仲間 |
毎週木曜日の朝9時から11時までの間、ボランティアで教えてくれる米国人先生スティーブのクラスに出ること。
毎週土曜の午前9時半から11時までは、家庭教師として雇っている元高校のスペイン語教師をしていたDaisy先生に教わること。
アメリカ人友人夫妻と一緒に、英語を話せる歯科医師ロドリゴ先生(私達の歯科医でもある)に、毎週火曜日の夜2時間位スペイン語に関する質問を英語でどんどんすること。(これは、ワインを飲みながら夕食をご馳走するということで、食べ物とワインが授業料。)この様に週三回出かけて勉強することになったので、ある程度の下調べは必須。
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| 中心がロドリゴ先生 |
| 私の家庭教師Daisy先生 |


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