2013年8月25日日曜日

トライリンガル(Trilingual)三ヵ国語習得への挑戦!

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「コスタリカに5年半も住んでいれば、スペイン語がぺらぺらでしょう?」とか言われるのだが、お恥ずかしいながら、「最初の5年間は貸別荘の改修工事とお客様の対応に明け暮れて勉強等する暇が無かったわ。」とか言うのはもっともらしい言い訳で、実はスペイン語の文法を習得する自信が全く無かったので、それなら、「ヘタに勉強するよりはしない方がいい。」という訳の分からぬ論理で生活していた。
かなり若かりし頃、アメリカの大学を終え米国で2年間働いた後、とても乙女チックに憧れていたスペイン語を第三言語として学ぼうと二度目のメキシコ・シテイ訪問をし、意気揚々とメキシコ人家庭にホームステイを始めた。スペイン語の習得には6ヶ月もあれば充分だと思っていた。(今、思うと自分の無知さと甘さに涙が出てしまう。。。)

シアトル市のある大学付属の英語学校で知り会ったメキシコ人良家の友人であるアレックスに紹介してもらった最初のメキシカン・ホームステイ先は英語が全く駄目。もちろん、それをこちらから望んで探してもらったのだった。私はスペイン語が全く駄目。お腹が空いても、喉が渇いても、何処かへ行きたくても、全く意志の疎通ができない日々が続いた。一週間目からスペイン語クラスに通い始めたものの、英語の学習時とはずいぶん違い、何を言っているのかサッパリ分からなかった。特に動詞の変換にはお手上げだった。

言葉が通じないという欲求不満状態が最高潮に達した時(これはホームステイ先の家族も同じだったと思うが、)アレックスに再度お願いし、今度は英語の分かるホームステイ先を探してもらった。
大学付属英語学校時の西語系友人
アレックスや彼の友人と一緒に
私、アレックス、友人
次の場所は、大学でスペイン語を教えている女教授のお宅で、そこには私以外にアメリカ人学生が常時2、3人滞在していた。全員英語圏の学生のため家で話す言語はどうしても英語になってしまう。ここでもスペイン語のクラスには通ったものの、唯一話せた(?)たのが、「トイレはどこですか?」(¿Dónde está el baño?)という文章で、その質問をした際に返ってくる返事が全く理解できないという本当に情けない状態だった。5週間という期間、何とか頑張ってはみたものの、自分の能力の限界を感じ、悲しいかなスペイン語習得の夢は諦めて米国に戻ってしまった。英語の文法はすごく簡単なのに、スペイン語の文法はなんでこんなに難しいのだろう?どんな夢であれ、それを諦めるというのはとても悲しいことだ。だから、私はその後、スペイン語に触れることは極力避けていた。
コスタリカ移住をする前に家族で何度もメキシコやコスタリカにバケーション旅行をしたのが、スペイン語を話そうとか、学習しようとかは全くしなかった。にもかかわらず、20082月、スペイン語の理解力が全く無いままに、突然の如く家族でコスタリカに移住してしまった。

移住前に夫がスペイン語を多少は勉強しており、新聞を読んだりすることができたので、「じゃ、今度は貴方が私の通訳をやってね。」と彼の通訳にしっかりと頼りきる計画だった。ところが、実際に生活を始めてみたら、私が工事現場に対応せざる負えない羽目になり、この「夫に頼る」という甘い期待が全く通用しないという現実に直面。工事現場監督や作業員達と話しをするには、どうしてもスペイン語でなければ駄目。夫は工事の事には全く興味がなく、こういう交渉は気の強い私でないと駄目ということになってしまった。「こんなはずでは無かった。」といくら思っても、時おそし。(米国の家は既に売約済みなので、帰ることもできなかった。)
その当時は、確かYahoo!Babel翻訳サイトだったと思うが、インターネット上の翻訳サイトを使って作業員達と話そうと努力した。ところが、何と、何と、不動産屋に紹介されて雇った元請の監督に幾ら翻訳文を見せても、ただニコニコしているだけで、何を言っても(つまりどの翻訳文を見せても)ポカッ~とした顔をしている。彼が文盲だという事に気づいた時には、それを理由に解雇する訳にもいかず、「仕方ない。読めないのなら、喋って伝えるしかない。」と必要に迫られ、切羽詰った状況から始まった私のスペイン語だった訳で、それが現在にまで至っている。
ゴティ家の家族、その友人と私の家族
私達は当地に移住する前は米国ノースカロライナ州に住んでいた。そこで知り会った友人ゴティ英子さんが、今年の3月末に家族や友人と共に私のホテルCasa de Megumi Vacation Rentals www.vrbo.com/206308)を訪問してくれた。彼女の家では真の意味での3ヵ国語会話をしているらしいが、私の場合には、彼女とは全く違う環境で始まった第三言語の習得となった。ちなみに、英子さんの最近のブログ「三ヵ国語の子育て」を読むとその辺の違いがハッキリと分かる。(http://ameblo.jp/eiko-goti/entry-11597397206.html


殆ど使われることの無い分厚い辞典

必要に迫られ、知っている単語だけをつなげての会話。それでも通じない時には、建築や工事のことなので紙にイラストや数字を書いたり、現物を見せたりして意志の疎通を図った。そうやって何とか事業や生活をこなしてきたという感じ。ただ、傍目には私がスペイン語を話せるように見えるらしく、そう誤解しているお客様や友人が多い。そういう評価を貰うたびに冷や汗をかき、穴があったら入りたくなる。それでも、依然として長い間スペイン語をしっかり勉強しようとは全然思わなかった。

今年三月に「パナマ運河クルーズの旅」に行き、「三ヵ国語を話せたら、船の旅の仕事をするのも面白いかな~。」と思ったことが、その後勉強しようと思う一つのキッカケにはなったものの、実は本当の理由というのは、以下の出来事に由来している。

ある日、コスタリカの中学と高校で勉強をし高校卒業の国家試験を無事受かった息子と私のスペイン語習得の希望について話をしていたら、”Mom, you know, your Spanish will never be as good as mine.  Don’t even try that.  You know itと本当に頭にくることを嬉しそうな顔をして言ったことがあった。(訳:「お母さん、お母さんのスペイン語は、絶対に僕のスペイン語のレベルには達しないよ。だから、無理してやらない方がいいよ。そうだろう?」)確かにその時の私のスペイン語って、本当にひどかったので、そう言われても仕方がないのだけれど、頭にきてしまった私は、「今に見ていろ。絶対に抜かしてやるから!特にお前が米国に行った後には。。。」 ”Well, you will see, you will be sorry to have said that as my Spanish will be so much better than yours!  Especially, after you leave for the U.S.!”と断言したのだ。それを聞いた息子は、ただ、ニヤニヤ笑って”You are right, mom.  We will see.”とか本当に可愛くない事を言うので、やらざる負えない羽目になってしまったという訳だ。
Cafe Brittのカフェオレを飲みながら


スティーブ先生のクラスの仲間
では、実際の学習方法は?買い込んだ教科書やテープは山ほどあって、どれから手を出していいのか思案中。でも、ここ2ヶ月ほど日々実行しているのは、毎朝起きがけにすぐスペイン語専用の机に行き、コスタリカの最高のコーヒーで、私の大好きなCafé Brittのコーヒー (www.coffeetour.com)を飲みながら朝7時まで勉強をすること。

毎週木曜日の朝9時から11時までの間、ボランティアで教えてくれる米国人先生スティーブのクラスに出ること。

毎週土曜の午前9時半から11時までは、家庭教師として雇っている元高校のスペイン語教師をしていたDaisy先生に教わること。

アメリカ人友人夫妻と一緒に、英語を話せる歯科医師ロドリゴ先生(私達の歯科医でもある)に、毎週火曜日の夜2時間位スペイン語に関する質問を英語でどんどんすること。(これは、ワインを飲みながら夕食をご馳走するということで、食べ物とワインが授業料。)この様に週三回出かけて勉強することになったので、ある程度の下調べは必須。


中心がロドリゴ先生
私の家庭教師Daisy先生
また、車の中ではBluetoothを使って私の携帯電話内MP3に入れたスペイン語会話のオーディオを聞くようにしている。色々使った中で、今一番気に入っているのが、Marcus SantamariaSynergySpanishSystemsだ。このプログラムは、日・英の通訳時代の勉強法によく似ていて、すらすらと頭に入るオーディオだ。これを聞いて練習するようになってから、私のスペイン語の表現がとても流暢になったと家庭教師のDaisyさんが言ってくれるようになった。ちなみに、 Usted habla español fluido.”と言うのだそうだ。嬉しい! いつになったら、息子のレベルを抜かせるか。頑張らなきゃ!団塊の世代はパワフルなのです!!!

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